銀座いせよしについて

“いせよし好み”を受け継ぐ
きものデザイナー
千谷みゑの店

銀座いせよしは2009年、匠の手仕事による「きもの」を、若い方やきもの初心者に向けて、気軽に見ていただけるよう創業しました。千谷みゑがデザインしたきものや和小物、千谷みゑが好む品をそろえたお店です。
きもの好きの方、これから着たい方、外国の方も大歓迎です。また、定期的に「銀座で小さな和講座」という和文化体験を催しています。最近は不定期開催となっていますが、海外の方も日本の方もご興味がありましたら、ぜひご一報くださいませ。

私のもの作りと和文化に対する興味は、「ものづくり」を得意とする先人たちが各々の和の分野で熱中したこと、大地震や戦火を超えて、東京、銀座の変遷と共に協力して育んだ「いせよし好み」の価値観が大きく影響しています。

「いせよし好み」を説明するには、千谷家の歴史を少しお話ししなくてはなりません。もしよかったら、少々お時間いただければ幸いです。

千谷家のファミリーヒストリー

酒造、皮革、履物、浴衣、着物、木画、袋物、貴金属
〜時代に合わせた品揃え、好きなものを追求する〜

ときは幕末~明治元年(1868)、初代の千谷 由太郎(ちたに よしたろう)は江戸新川にて「伊勢由」の暖簾で酒造業を営んでいました。(現在の日本皮革の前身の皮革会社支配人も兼任)由太郎の弟は「伊勢利(いせり)」の暖簾で浴衣、着物、風呂敷の店を営んでいました。

初代の千谷由太郎・きん夫婦には子がなく土屋清三郎(せいざぶろう)と妻の三亥(みい)を夫婦養子に迎え、二代目として暖簾を継がせました。清三郎は後に千谷由太郎と改名し、明治9年履物店を日本橋若松町にて開業、伊勢利の仕事も受け継ぎ《履物》《浴衣・着物》《木工芸品》《袋物や貴金属》など、宮家、お邸、芸能の方々にもご愛顧いただきました。

昭和8年銀座西5丁目に出店、8丁目に移転後は《履物》と《浴衣着物》店を分けました。浴衣、着物店を任されたのが私の祖父、祖母です。

二代目の実の弟は、木内半古(はんこ)、息子 木内省古(しょうこ)
木内家 名匠三代 の作品も扱う店として人気に

ところで、二代目の清三郎は船大工、仏師、木工芸師、ペリー来航の際は幕府の命で銃の製作もした 木内喜八の甥でした。早くに母を亡くした清三郎は千谷家に、弟の半古は叔父木内家の養子になります。その後に木内半古は聖徳太子遠忌のための品を謹作、その品は法隆寺と東京国立博物館に納められ、その息子の木内省古も正倉院御物の模造などいたし人間国宝となりました。二代目 千谷由太郎は弟たち木内家の作ったかんざし、こうがい、帯どめなども扱い、大人気だったようです。

話を戻して三代目である祖父は49歳で早逝、お嫁にきた祖母が店を切り盛りしました。奇跡的に無事だった祖母の店は、戦火で焼けた履物店と合併しました。土屋家の子孫の弘と晩年に話した時、祖母が優しかったこと、関東大震災消失後に建て、大空襲消失前の店は映画の舞台にも使われるほど立派な洒落た店であったことなどを聞きました。

何より大事なのは「暖簾」
ご贔屓のお客様の期待と信頼に応えること

父親を早く亡くした四代目の私の父は、学生の頃から浴衣を担いで関西方面に行商に行きました。その時に無名の父から浴衣をたくさん買って頂けたのは「暖簾」のお陰だ、と父は何度も話してくれました。祖母も“暖簾が傷付いたら100年信用は戻らない”と。その頃から“暖簾は大事”と胸にしまいました。
浴衣の趣、初代の弟時代からご好評の浴衣は、いわゆる浴衣としての柄でなく、本格的な着物の繊細な柄を型に彫り手染めしています。当時としては珍しく、風呂上がりの家着であった浴衣に匠の職人の手間をふんだんに使い、水糊仕上げで涼しさと肌にも柔らかく、贈答品としても重宝されました。和裁の先生お墨付きで仕立て易さも抜群です。白州正子さんや当時まだ無名だった海外ブランドオーナーも買付にみえたそうです。

佳いものへのこだわり、優れた技術への研究心と向上心が、商いの先に立つ…

二代目由太郎の履物は父のいとこである孫の英雄が受け継ぎ、英雄はお客様のお御足をチラリと見ただけで、鼻緒やつぼの位置をその方に合わせてすげた(つけた)と父がよく話していました。三島由紀夫さんもご愛顧いただいていたようで、本にも取り上げていただいています。英雄が亡くなって20年、仕事を辞めて30年以上たちますが、まだその名人ぶりをお客様から耳にすることがあります。

私の父は祖父と同じ本の虫で“銀座の学者”と呼ばれる商売人らしくない人でした。ただ着物をこよなく愛し、仕入に同行する時は真剣かつ楽しそうでした。この業界は皆長寿で当時78歳くらいの父を88歳、98歳の先輩方が対応して下さり、30代の私をお嬢ちゃん、お嬢ちゃんと呼んで、着物の図案や写真など色々見せて下さいました。

ここまで店の歴史を男性を中心に書かせて頂きましたが、店を陰ながら支えたのは実は女将・娘たちです。きん、三亥、婦美、益子、みよ、光世、よね、啓子、など、たくさんの女性たちの活躍について、話せば長くなるでしょう。

そして、私の中にも、そんな「ものづくり」の千谷家の血が流れていることを、年を経るごとに感じます。
先人とお客様に感謝、伝統の品や技術を大事にしながら、時代に合わせて新しい風を作りたい、と思います。

銀座いせよしの
3つのコンセプト

Cocept

01

“いせよし好み”をお伝えする店

初代の弟利三郎が始めた地染浴衣、木内喜八、半古、省古の木工芸品、英雄の履物などはその世間的価値は違えども、それぞれの匠の技術を駆使した名品として、私は等しく愛おしいと思っています。残された品や手描き図案、浴衣の型を見る度、優れた技術に対する研究心と向上心、あたたかさや優しい氣持ち、品物に対する愛情がどれだけ大きかったかと感じるのです。

先人たちのそんな心に魅かれ、ついついお伝えもうしたくなるのです。


Cocept

02

古きもの斬新に、新しきものなつかしく…
個性と遊び心の街 銀座らしさを大切にする店

江戸が東京となった明治元年(1868)から、新川~日本橋~銀座で商売を営んできた千谷家の歩みは、東京を代表する商業地の歴史とともに刻まれています。「銀座らしさ」は、銀座いせよしのコンセプトの2つめの柱です。

京の「雅(みやび)」や江戸の「粋(いき)」とも違う[古いものと新しいものが混在する街〕[遊び心]と[個性]にあふれ、その銀座をジャッジするのは常にお客様です。お客様の銀座フィルターにかなう店だけがここで店を続けられる、そんな緊張感をも”かて”として銀座の街に感謝です!!


Cocept

03

日本の文化を未来へ、世界へ。

めぐる季節を自然とともに生き、日々の節目を大事にしてきた日本の文化には、人々が幸せに楽しく暮らせるヒントや知恵がたくさん含まれていると、私は思っています。海外から見た日本も少しだけ経験し、その意識は年を重ねるごとに深くなっています。きものは和の文化の一つです。目をつぶり、耳をふさいでいても体感できる身体の内側の和体験です。ここから少しずつ、皆様と広がっていくことができましたら誠に嬉しく存じます。どうぞ、お気軽に足をお運びくださいませ。


ご来店の際は、お電話をいただけますと誠に幸いです。

03-6228-5875